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未来創造堂 第41回~第60回で取り上げられた偉人

この記事は、2006年4月7日から2009年9月25日の3年半、日本テレビ系列で毎週金曜日の23:00 - 23:30に放送された番組「未来創造堂」の情報をまとめたものです。「未来創造堂」とは、その人のコダワリを紹介するというバラエティ番組であり、コダワリから大発明をした偉人を紹介するドキュメンタリー番組でもありました。seesaaブログから、はてなに記事を移し、その当時を振り返った感想を書いています。

今回は第41回~第60回で放映された偉人をまとめました。

名言「創造なき世に未来無し」額付き書道色紙/受注後直筆(千言堂)Y1761

日本漫画の礎を築いた男 加藤 謙一

第41回で「加藤兼一物語」を放映

加藤兼一(かとう けんいち)は、日本の漫画家であり、特に昭和時代に活躍した漫画家の一人です。彼は、主に戦後の日本で活動し、多くの作品を手がけました。代表作には『日本沈没』や『太平洋戦争』などがあります。

『日本沈没』は、1973年から1974年にかけて週刊少年マガジンで連載され、日本列島が地震によって海中に沈んでいく様子を描いた作品です。一大ヒットとなり、後に映画やテレビドラマ化されました。

『太平洋戦争』は、戦後の日本の歴史を扱った作品で、日中戦争や太平洋戦争の様子を描いています。加藤兼一は、リアルな描写と歴史的な事実を元にしたストーリー展開で、多くの読者に衝撃を与えました。

加藤兼一は、リアリズムを重視した作風で知られ、特に戦争や災害などのテーマを取り上げた作品が多いです。彼の作品は、時代背景や社会問題を反映しながら、人間の生き様や命の尊さについて考えさせる要素が含まれています。

 

 

コダワリの化粧筆を創った男 高本 和男

第42回で「高本和男物語」を放映

高本和男(たかもと かずお)は、日本の化粧品メーカーである資生堂の創業者の一人です。彼は、資生堂の創業者の一人として、化粧品や美容商売に多大な貢献をしました。

高本和男は、資生堂の創業期に化粧品の開発や製造に携わり、特に化粧筆(メイクブラシ)の製品開発に力を入れました。彼は、化粧筆の製造技術を磨き、品質や使い心地にこだわり、多くの女性に愛用される化粧筆を生み出しました。

資生堂は、高本和男を含む創業メンバーたちの努力によって、日本の化粧品業界をリードする企業として成長しました。彼らの先見の明や創造力は、現代の美容産業に大きな影響を与え、日本の美容文化の発展に貢献しました。

 

 

電卓を創った男 樫尾 幸雄

第43回で「樫尾幸雄物語」を放映

樫尾幸雄(かしお ゆきお)は、日本の電機メーカーであるカシオ計算機株式会社(CASIO)の創業者の一人です。彼は、電卓の開発に深く関与し、その普及に大きな貢献をしました。

樫尾幸雄は、戦後の日本で電卓の製造に携わり、1957年にカシオ計算機株式会社を設立しました。彼は、当時のメカニカル式電卓から電子式電卓への移行を主導し、電卓の小型化や低価格化に成功しました。特に、カシオが1965年に発売した世界初の電子式ポケット電卓「CASIO 001」は、その革新的な技術と手頃な価格で世界中で大ヒットしました。

樫尾幸雄のリーダーシップのもと、カシオは電卓のみならず、デジタル腕時計や電子楽器などの製品を次々に開発・製造し、世界的な電機メーカーとしての地位を築いていきました。彼の功績は、電卓を普及させ、計算機技術の進歩に寄与することとなりました。

 

 

電気コタツを創った男 横山 良一

第44回で「横山良一物語」を放映

横山良一(よこやま りょういち)は、日本の技術者で、特に電子工学の分野で活躍した人物です。彼は松下電器産業(現在のパナソニック)で働き、数々のイノベーションや技術開発に貢献しました。

横山良一は、1964年に松下電器産業(当時)が開発した最初のカラーテレビ「トリニトロン」の開発チームの一員として知られています。トリニトロンは、従来のカラーテレビよりも優れた色再現性と鮮明な画質を実現したことで知られ、世界的な評価を受けました。

その他にも、横山良一は家電製品の開発や技術革新に貢献しました。彼の功績は、日本の家電産業の発展に大きく寄与し、世界中の多くの家庭に革新的な製品を届けることとなりました。

(当時の情報は間違いかも?)

電気こたつの開発者として知られる人物は複数いますが、特に有名なのは清水武(しみず たけし)です。

清水武は、日本の家電メーカーである松下電器産業(現在のパナソニック)に勤務していた頃、1964年に電気こたつの発明に成功しました。彼は、電気こたつを普及させることで家庭での冬の暖房問題を解決し、日本の生活に大きな影響を与えました。その後、電気こたつは日本の家庭に定着し、冬の定番の暖房器具となりました。

 

 

 

ユニットバスを開発した男 進藤 正巳

第45回で「ユニットバス開発秘話」を放映

進藤正巳(しんどう まさみ)は、1958年に大手住宅設備メーカーであるLIXIL(リクシル)の前身である日本ジャスコ(現在のイオン)に入社し、浴室設備の開発に携わりました。彼は、当時の住宅事情や需要を考慮し、コンパクトで組み立てやすい浴室ユニットの開発に取り組みました。

進藤氏が開発したユニットバスは、施工性が高く、一般家庭においても簡単に取り付けられることから、急速に普及しました。ユニットバスの普及により、日本の住宅における浴室のスタイルや使い勝手が大きく変化し、日常生活の利便性が向上しました。

進藤正巳氏は、日本の住宅設備業界において革新的な発想と技術力でユニットバスを開発し、日本の住宅文化に多大な影響を与えました。

 

 

寿司ロボットを創った男 鈴木 喜作

第46回で「寿司ロボット開発秘話」を放映

鈴木喜作(すずき きさく)は、1954年に栃木県で生まれ、高校卒業後、日本電産株式会社に入社しました。その後、自身の会社である株式会社寿司鮨ロボット研究所を設立し、寿司ロボットの開発に取り組みました。

鈴木喜作は、1990年代初頭に世界初の自動寿司製造機を開発し、寿司店の効率化や品質の向上に貢献しました。この自動寿司製造機は、寿司ネタの盛り付けやシャリ(酢飯)の製造を自動化し、寿司職人の手作業に比べて迅速かつ一定の品質を保つことができます。

鈴木氏の寿司ロボットの開発により、寿司店の業務効率が向上し、人手不足の解消や経営コストの削減に貢献しました。また、自動化による一定の品質の確保は、食品衛生面でも大きな利点となりました。そのため、寿司ロボットは世界中の寿司店で広く導入されています。

 

 

日本初のスーパーマーケットを創った男 増井 徳男

第47回で「スーパーマーケット誕生秘話」を放映

増井徳男(ますい のりお)は、戦後の日本において食糧不足や物資不足が深刻な状況下で、スーパーマーケットという形態を導入し、物流の効率化や消費者の利便性向上に貢献しました。彼が創設したスーパーマーケットは、従来の小売店とは異なり、多品目の商品を大量に取り扱い、自己サービス方式を採用しました。

増井徳男のスーパーマーケットは、食品や日用品を幅広く取り揃え、低価格で提供することで、多くの消費者に受け入れられました。これにより、従来の小売店に比べて格段に売上を伸ばし、日本の小売業界に革命をもたらしました。

増井徳男の功績は、日本の小売業界におけるスーパーマーケットの発展に大きな影響を与えました。彼の先見の明と経営手腕により、日本の小売業界は大きく変革され、現在のスーパーマーケット業界の基盤を築くことになりました。

 

 

マラソンシューズを創った男 鬼塚 喜八郎

第48回で「マラソンシューズ開発秘話」を放映

鬼塚喜八郎(おにづか きはちろう)は、日本のスポーツ用品メーカーであるアシックスの創業者の一人であり、マラソンシューズの開発に深く関与しました。

彼は1949年にアシックス(当時は「おにづか商店」として創業)を設立し、初めは木綿の布地を使用したバスケットボールシューズやバレーボールシューズなどを製造販売していました。その後、鬼塚喜八郎は1964年にアシックスを日本初のマラソンシューズを開発し、マラソン競技者の間で高い評価を得ました。

鬼塚喜八郎のマラソンシューズは、軽量かつ耐久性があり、長距離走において快適なフィット感を提供しました。その後、アシックスはマラソンシューズの開発に力を入れ、世界中のランナーから支持されるブランドとなりました。

鬼塚喜八郎の貢献により、アシックスはスポーツシューズ市場での地位を確立し、マラソンシューズの技術革新に貢献しました。また、彼の情熱と精神はアシックスの企業文化にも受け継がれ、現在も世界中のスポーツ愛好家に愛用されるブランドとして続いています。

 

 

モナリザを微笑ませた男 大川 光男

第49回で「大川光男物語」を放映

昭和49年、東京国立博物館に3日間だけ「モナリザ」は展示されました。

大川光男(おおかわ みつお)は、モナリザのレプリカを制作し、日本国内で巡回展示を行った企画に関与した人物です。彼は日本の美術品制作会社である有限会社アートフロンティアの代表取締役を務め、アート関連のイベントや展示の企画・制作を手がけています。

大川光男は、2000年代初頭に、日本国内でモナリザのレプリカを展示する企画を立案しました。この企画では、オリジナルのモナリザを忠実に再現したレプリカが制作され、日本各地で展示されることとなりました。展示では、訪れる人々がモナリザの謎めいた表情や魅力に触れる機会を提供しました。

大川光男は、モナリザの展示を通じて、多くの人々に芸術の魅力を伝えることを目指しました。彼の企画や制作により、モナリザという世界的に有名な絵画が日本国内で広く知られるきっかけとなりました。

 

 

体脂肪計を創った男 佐藤 富男

第51回で「体脂肪計開発秘話」を放映

かつて肥満は、体重の重い軽いだけで判断されていました。しかしあるとき、当時の社長が専門医から「肥満は体重が重いことではなく、脂肪が多いことだ」と聞いたのがきっかけとなり、社内でも脂肪をはかる装置の開発が命じられました。ただそれは大々的なものではなく、当時新入社員だった私の研修テーマという形でのスタート。当然戸惑いましたが、知っている人がいない中「やるだけやってみよう」という気持ちで挑んだのを覚えています。当時、正確な脂肪計測法といえば、手間のかかる水中体重秤量法のみ。それを体重計のような簡単なものにできないかと試行錯誤の日々が始まりました。ようやく確立した計測法は、電気を通しにくい脂肪の性質を利用し、脂肪量の推定値を導き出すというもの。推定値を導く計算式をつくるには、幅広い年代、幅広い体格の人体データが必要となり、その収集に奔走する毎日でした。そして1992年、ついに世界初の体内脂肪計の開発に成功。家庭向けにも発売され、体脂肪率という新しい指標が世に広がっていくことになったのです。

 

 

エコー検査機を創った男 竹内 久彌

第52回で「竹内久彌物語」を放映

超音波胎児病学

 

 

紙おむつを創った男 阿部 啓二

第53回で「紙おむつ誕生秘話」を放映

阿部啓二(あべ けいじ)氏は、1965年に日本で初めての使い捨て紙おむつ「パンパース」を発売し、これが日本の子育て文化に革命をもたらしました。これにより、母親の負担が軽減され、赤ちゃんのおむつ交換がより便利になりました。阿部氏の紙おむつの開発は、世界中で子育てに関する慣習を変える革新的な一歩となりました。

 

 

あんぱんを創った男 木村 安兵衛

第54回で「あんぱん誕生秘話」を放映

木村安兵衛(きむら やすべえ)は1875年に東京で「木村屋」というパン屋を開業し、その後、あんぱんを発明しました。

あんぱんは、小麦粉の生地で作られたパンに、甘い餡(あんこ)を詰めたもので、日本の代表的な和菓子のひとつです。木村安兵衛が開発したあんぱんは、一般の人々が手軽に味わえるようになり、広く愛されるようになりました。

木村安兵衛は、日本の製パン業界において、あんぱんの創始者としてその名を残しています。

 

 

地下鉄乗換マップを創った主婦 福井 泰代

第55回で「地下鉄乗換マップ制作秘話」を放映

福井泰代(ふくい やすよ)は、1970年代初頭に東京で地下鉄乗換案内を手書きでまとめ、これが後に公式な乗換案内マップとして採用されました。

その後、福井泰代が手がけた地下鉄乗換マップは、多くの人々に利用され、東京の地下鉄利用者にとって欠かせないツールとなりました。彼女の貢献により、東京の交通網がより使いやすくなり、乗換案内がスムーズに行えるようになりました。

 

 

包丁の未来を切り拓いた男 渡辺 勇蔵

第56回で「渡辺勇蔵物語」を放映

渡辺勇蔵(わたなべ ゆうぞう)は、包丁の製造技術を革新し、包丁の未来を切り拓いた日本の職人です。彼は、伝統的な手作りの包丁製造に革命をもたらし、工業化された包丁の製造プロセスを導入しました。

渡辺勇蔵の工場では、伝統的な手法に加えて機械化や自動化を取り入れ、高品質な包丁を効率的に製造することに成功しました。彼の革新的なアプローチにより、日本の包丁は世界中で高い評価を受け、日本の職人技術の象徴となりました。

渡辺勇蔵は、包丁の製造技術の発展に多大な貢献をし、日本の包丁産業の発展に大きな影響を与えました。彼の功績は、日本の伝統的な職人文化と革新性の融合を象徴しています。

 

 

お米の未来を切り拓いた男 杉谷 文之

第57回で「杉谷文之物語」を放映

杉谷文之(すぎたに ふみゆき)は、日本の農業技術者であり、お米の未来を切り拓いた人物です。彼は、新しい栽培技術や品種改良を導入し、お米の生産性や品質向上に貢献しました。

杉谷文之氏が開発した技術の一つには、高収穫で病害虫に強い新しいお米の品種があります。これらの品種は、従来のお米よりも耐久性が高く、より効率的な生産が可能となりました。さらに、彼は栽培プロセスに革新をもたらし、農家の収益性や作業効率を向上させました。

杉谷文之氏の取り組みにより、日本のお米生産はさらに発展し、農業の持続可能性が向上しました。彼の功績は、日本の食料自給率や農業産業の発展に大きな影響を与えました。

 

 

ダイニング・キッチンを創った女性 浜口 ミホ

第58回で「ダイニングキッチン誕生秘話」を放映

浜口ミホさんは、日本の建築家であり、ダイニングキッチンを提案したことで知られています。彼女は、伝統的な和室や和風の住宅から、よりオープンでモダンな生活スタイルに適した住宅デザインを提案しました。

ダイニングキッチンは、食事の準備や家族とのコミュニケーションを促進するために、リビングルームやダイニングエリアと一体化されたキッチンスペースです。これにより、家族が一緒に料理を楽しんだり、会話を交わしたりする機会が増え、家族の絆を深める助けとなりました。

浜口ミホさんの提案により、ダイニングキッチンは日本の住宅デザインに革新をもたらし、多くの家庭で採用されるようになりました。彼女の功績は、日本の住宅文化の変革に大きな影響を与えました。

 

 

自転車のギアの未来を創った男 島野三兄弟

第59回で「島野三兄弟物語」を放映

島野三兄弟は、日本の自転車技術者であり、自転車産業に多大な貢献をした人物です。彼らは、自転車の設計や製造において革新的なアプローチを取り入れ、日本の自転車産業の発展に大きく貢献しました。

具体的には、島野三兄弟は1950年代から1960年代にかけて、自転車の軽量化や安全性の向上に取り組み、多くの新しい技術や設計を開発しました。彼らの取り組みにより、日本の自転車は世界的な競争力を持つようになり、自転車産業は急速に成長しました。

島野三兄弟の業績は、日本の自転車文化や産業の発展に大きな影響を与えました。彼らの技術革新は、現代の自転車産業においても重要な位置を占めています。

 

 

スパゲッティの未来を切り拓いた男 入江 芳忠

第60回で「入江芳忠物語」を放映

入江芳忠(いりえ よしただ)氏は、日本の食品技術者であり、スパゲッティの生産技術に革新をもたらしたことで知られています。彼は、スパゲッティの製造プロセスを改善し、より高品質で美味しい製品を提供するために努力しました。

入江芳忠氏の貢献により、スパゲッティの製造は効率化され、品質管理が向上しました。彼の技術革新により、スパゲッティはより多くの人々に愛される食品となり、世界中で広く普及することとなりました。

入江芳忠氏の業績は、日本の食品産業において重要な役割を果たし、スパゲッティの生産と普及に大きな貢献をしました。彼の功績は、食品技術の分野において高く評価されています。

 

 

【編集後記】当時を振り返りつつ

第50回は、3・4回で放送された「ライト兄弟を超えたニッポン人、二宮忠八」の特別編を放映したようです(当時のブログより)

前回のまとめ(第20~40回)と比べると、名のある企業の創業者の話は減り、既存の技術を改良したり、より快適になる方法を提案した人の話が多いですね。当時の映像はyoutubeで見れるものもあるのですが、ブログ貼り付けると著作権の問題がありそうなので止めておきます。気になる話がある方はyoutubeで検索してみてください。