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未来創造堂 第61回~第80回で取り上げられた偉人

この記事は、2006年4月7日から2009年9月25日の3年半、日本テレビ系列で毎週金曜日の23:00 - 23:30に放送された番組「未来創造堂」の情報をまとめたものです。「未来創造堂」とは、その人のコダワリを紹介するというバラエティ番組であり、コダワリから大発明をした偉人を紹介するドキュメンタリー番組でもありました。seesaaブログから、はてなに記事を移し、その当時を振り返った感想を書いています。

今回は第61回~第80回で放映された偉人をまとめました。

食品サンプルの未来を切り拓いた男 岩崎 瀧三

第61回で「食品サンプル誕生秘話」を放映

食堂やレストランの店先にあるメニューのサンプル、これを作るキッカケとなったのが、昭和初頭の洋食ブーム!見たことも聞いたこともない料理を注文しやすくする為にサンプルが作られたのですが・・・どれも美味しそう煮見えない!美味しそうな本物ソックリのサンプルを作るために試行錯誤した男

岩崎瀧三(いわさき たきぞう)は、日本の食品サンプルの製造業者であり、食品サンプルの製造業界で有名な企業の一つです。飲食店やカフェなどで見かける、リアルな見た目の食品サンプルを製造しています。これらのサンプルは、メニューの実物と瓜二つでありながら、実際には食べられないもので、食欲をそそります。岩崎瀧三は、その技術と品質で、日本の食文化を支える一翼を担っています。

 


ビーチサンダルの未来を切り拓いた男 生田 庄太郎

第62回で「ビーチサンダル誕生秘話」を放映
ビーチサンダルが出来たキッカケは、アメリカ人の「この指に引っ掛けて歩く不思議な靴はなんだ?」という驚きからみたいです。時代は昭和26年、戦後間もない日本。そのアメリカ人の依頼を引き受けたのが日本の内外ゴム、当時 内外ゴムの技術者だった生田庄太郎氏がビーチサンダルを製品化し、昭和28年ハワイへの輸出を開始、その2年後、日本でも販売されるようになった。

 

 

マッサージチェアの未来を切り拓いた男 原 彦芳

第63回で「マッサージチェア開発秘話」を放映

日本で最初に家庭用マッサージチェアを開発したのは松下電工です。しかし、そのマッサージチェアは、使い勝手が悪く、全然気持ち良くない、粗悪品だったのです。そのマッサージチェアを改良し、現在の形の原型を作り出した男。

原彦芳は日本の技術者であり、マッサージチェアの開発に貢献しました。彼の改良により、マッサージチェアはより効果的で快適なものとなり、多くの人々の健康やリラックスに貢献しました。

 

 

旅の未来をかえた男 新川 柳作

第64回で「スーツケース誕生秘話」を放映
現在使われている縦型可動式のスーツケースを作った人です。昔、大ヒットした「マジソンスクエアガーデン バッグ」を産み出したのも同じ人物

新川柳作(しんかわ りゅうさく)氏は1930年代にスーツケースを発明し、その後、スーツケースの改良や機能向上に努めました。新川氏の貢献により、スーツケースはより便利で使いやすくなり、旅行者やビジネスマンに広く利用されるようになりました。

 

 

ビリヤードの未来を切り拓いた男 高平 睦生

第65回で「高平睦生物語」を放映

高平睦生(たかひら むつお)氏は、日本のプロビリヤード選手、数々の大会で優勝し、日本国内外でビリヤードの普及に尽力しました。その活動の中「MUSASHI」という名のビリヤードのキューを作った人です。温度や湿度で変型しない木製のキュー、そんな究極なキューを作るのにかかった時間は30年!従来は1本の木から作られていたキューを複数の木を組み合わせて曲がりにくくするという独特な発想からこのキューは生まれました。

 

 

人形の未来を切り拓いた男 小島 康宏

第66回で「リカちゃん人形誕生秘話」を放映
リカちゃん人形は、1966年に輸入され流行した「バービー人形」の「綺麗」に対抗して「可愛らしい」リカちゃん人形を作り出し1967年7月に株式会社タカラ(現・タカラトミー)から発売されました。そのリカちゃん人形の初代開発者が小島康宏(こじま やすひろ)氏です。

 


包み込むことの未来を切り拓いた男 川上聡

第67回で「川上聡物語」を放映

運搬物の保護する時に包み込む「気泡シート」プチプチと潰すのが快感なあのシートの事です。プチプチは50年ほど前、アメリカで発明されました。
当時、大手化学メーカーの研究員をしていた創業者の川上聡さんが、プチプチの存在を文献で知り、社内で製品化を提案したそうです。しかし却下され技術者魂に火がついて会社を退職、川上産業を創立へ。当時は塩化ビ二-ル素材が全盛だったが、プチプチは環境に優しいポリエチレンを使うことに惹かれたからこそ、こうして誕生した川上産業は、独自技術でのプチプチ製造法を確立し、軽くて使いやすいプチプチは、日本の高度成長に比例して生産量も増加していきました。

 

 

消しゴムの未来を切り拓いた男 後藤 一雄

第68回で「後藤一雄物語」を放映

消しゴムというけれど実はプラスティックで出来ています。後藤和雄氏はよく消える「プラスティック消しゴム」を作り出した人物です。

 


かまぼこの未来を切り拓いた男  杉野 芳人

第69回で「杉野芳人物語」を放映

カニ風味のかまぼこ、「カニかま」を作った人の物語です。

人工クラゲの製造に行き詰まり、諦めかけていたその時、たまたま刻んで食べてみた食感がまさにかにの身そっくりだと気付いた。繊維状の食感でヒントを得た杉野芳人専務(当時)は、「われわれの本業である蒲鉾なら、調味付けができるはずだ」と材料に蒲鉾を使うことを提案、人工クラゲから人工カニ肉開発へと舵を切った。
※杉野芳人は後に社長となる(スギヨが練り物を作り始めてから5代目)

蒲鉾を使用して出来上がった試作品を食べてみると、味と口当たりがカニの身そっくりだったので、開発チームは心が浮き立った。そして1972年、世界初のカニ風味かまぼこ「かにあし」を発売することとなる。

 


蚊取り線香を作った男 上山 英一郎

第70回で「蚊取り線香誕生秘話」放映

ご存知 金鳥の蚊取り線香を作り出した人です。完成当初は、真っ直ぐな線香で40分で燃えつきてしまいました。「渦巻きにしたら?」と発言したのは、上山氏の妻。渦巻きにした線香は、燃焼時間が6時間となりました。こうして「蚊取り線香」は明治35年に商品化されたのです。

 


小袋ワサビでワサビの未来を切り拓いた男 小林 元次

第71回で「小林元次物語」を放映

小林元次氏は、日本の食品メーカーであるキユーピーコーポレーションの創業者の一人であり、ワサビ製品の開発に関与していました。彼は、1929年にキユーピーコーポレーションを設立し、同社の初代社長として活動しました。小林氏は、日本の伝統的な調味料であるワサビを商品化し、普及させることで、キユーピーコーポレーションの成功に大きく貢献しました。

 

 

魚群探知機で漁業の未来を切り拓いた男 古野兄弟

第72回で「古野兄弟物語」を放映

魚群探知機は、軍事用ソナー(船舶用超音波測距・測深機)の原理を応用し、1948年、古野電気の創業者古野清孝、清賢兄弟によって世界で初めて開発・実用化された。魚群探知機の出現により、それまで漁業者の経験と勘に依存していた漁業を科学的見地から実施する方法に転換する上で大きな足跡を残すこととなった。
 当時の古野電気は、中小企業であり、軍需品の民需転換をいち早く実現したこと、 ハードウエアとしての魚群探知機の開発のみならず、魚群探知機をいかした漁法のノウハウをパッケージ化して顧客に提供したこと、さらにこれらを円滑に行うために、開発、生産、販売、アフターケアなどを内製化した組織で一元的に提供したこと等ベンチャー企業として優れた経営を展開していった点も注目される。

 

 

カキ養殖の未来を切り拓いた男 佐藤 忠勇

第73回で「カキ養殖開発秘話」を放映

佐藤忠勇(さとう ただお)氏は、日本の水産学者であり、カキ養殖技術の開発に貢献したことで知られています。彼は日本の水産学の第一人者であり、特にカキ養殖技術の改良において大きな功績を残しました。

佐藤忠勇氏は、カキの養殖に関するさまざまな技術革新や養殖システムの導入に取り組み、これによってカキ養殖業界を大きく発展させました。彼の研究と技術の導入により、カキ養殖はより効率的に行われ、生産量の増加や品質の向上が実現されました。

佐藤忠勇氏の業績によって、日本のカキ養殖業は世界的にも注目され、カキの生産量は大幅に増加しました。その功績は、日本の水産業における重要なマイルストーンの一つとされています。

 

 

ピッチングマシーンの未来を切り拓いた男 吉田 義

第74回で「吉田義物語」を放映

吉田義氏は、ピッチングマシーンの改良と普及に貢献した人物です。彼は、日本の野球界においてピッチングマシーンの開発や改良を行い、これによって野球のトレーニングや技術向上に大きな影響を与えました。

吉田氏が開発したピッチングマシーンは、投球のスピードやコントロールをシミュレートすることができ、野球選手の練習に幅広く活用されています。特に投手のトレーニングや打者のバッティング練習などで重要な役割を果たしています。

彼の貢献により、野球のトレーニングや技術向上においてピッチングマシーンは欠かせない存在となりました。吉田氏の開発したピッチングマシーンは、日本国内だけでなく世界中で利用されており、彼の功績は野球界に広く認められています。

 

 

耐震構造の未来を切り拓いた男 稲田 達夫

第75回で「稲田達夫物語」を放映

稲田達夫(いなだ たつお)氏は、日本の建築技術者であり、耐震構造の研究と普及に貢献した人物です。彼は、地震の被害を最小限に抑えるための耐震構造の開発や改良に取り組み、日本の建築物の安全性向上に大きく貢献しました。

稲田氏の研究成果は、地震時に建物の倒壊や損傷を防ぐための新しい構造設計や技術革新に反映されています。彼の開発した耐震構造は、地震が頻繁に発生する日本の建築物に広く採用され、多くの人々の生命と財産を守る役割を果たしています。

稲田氏の業績は、日本国内だけでなく世界中の地震対策に影響を与え、耐震技術の進化と普及に大きな貢献をしました。彼の研究と努力によって、地震による被害を最小限に抑えるための安全な建築物が設計され、建設されています。

 

 

スポーツサングラスの未来を切り拓いた男 山本 為信

第76回で「スポーツサングラス開発秘話」を放映

山本為信(やまもと ためのぶ)氏は、スポーツサングラスの開発と普及に貢献した人物です。彼は、スポーツをする人々がより快適で効果的な目の保護をするために、高性能なスポーツサングラスの開発に取り組みました。

山本氏が開発したスポーツサングラスは、軽量で耐久性があり、運動中に安定したフィット感を提供することが特徴です。また、紫外線や眩しさを遮断し、視界をクリアに保つレンズ技術も取り入れられています。

彼の開発したスポーツサングラスは、さまざまなスポーツやアウトドアアクティビティで広く利用されています。これにより、選手やアウトドア愛好家は快適で安全な環境でプレイや活動ができるようになりました。

山本氏の功績により、スポーツサングラスは一般的なスポーツ用品として普及し、スポーツ業界における重要なアイテムとなっています。

 

 

ジーンズの未来を創った男 貝原 定治

第77回で「貝原定治物語」を放映

貝原定治(かいはら さだはる)氏は、日本のファッションデザイナーであり、ジーンズの普及と進化に貢献した人物です。彼は、日本におけるデニム文化の発展と、ジーンズのデザインや製造技術の向上に大きく関わりました。

貝原氏は、日本のデニム産業に新たなイノベーションをもたらし、伝統的なジーンズのデザインに独自のアプローチを取り入れました。彼の手掛けたジーンズは、洗練されたデザインと高品質な素材で知られ、ファッション愛好家や若者たちに広く支持されました。

また、貝原氏はジーンズの着用シーンを拡大するために努力しました。彼のデザインは、カジュアルな日常着からファッションショーのランウェイまで幅広いシーンで愛用され、ジーンズがより普遍的なファッションアイテムとなるきっかけとなりました。

貝原氏の功績により、ジーンズは世界中で愛され、ファッションの一部として不可欠な存在となりました。彼の影響力あるデザインやビジョンは、ジーンズ産業全体の発展に大きく貢献しました。

 

 

ウェットスーツの未来を切り拓いた男 山本 敬一

第78回で「山本敬一物語」を放映

山本敬一(やまもと けいいち)氏は、ウェットスーツの開発と進化に大きく貢献した人物です。彼は、水泳やサーフィンなどの水上スポーツで使用されるウェットスーツの機能性や快適性を向上させるために、新しい素材やデザインの開発に取り組みました。

山本氏が開発したウェットスーツは、柔軟性が高く、運動の自由度を妨げることなく、水中でのパフォーマンスを最大限に引き出すことができます。また、保温性に優れており、冷たい水中でも体温を保つことができます。

さらに、山本氏のウェットスーツは耐久性が高く、長期間にわたって使用することができます。これにより、水上スポーツ愛好家やプロのスポーツ選手は、高品質で信頼性の高いウェットスーツを手に入れることができました。

山本氏の貢献により、ウェットスーツは水上スポーツの必須アイテムとして確立され、その快適性と機能性は多くのアスリートや愛好家に広く認められています。彼の技術革新は、ウェットスーツ産業全体の発展に大きな影響を与えました。

 

 

塩の未来を切り拓いた男 高安正勝

第79回で「高安正勝物語」を放映

高安正勝(たかやす まさかつ)氏は、塩の製造と利用における革新的な技術やアプローチで知られる人物です。彼は、塩田の管理や製造プロセスの改善、さらには塩の利用方法の多様化に取り組み、塩産業に大きな影響を与えました。

高安氏が開発した技術は、塩田の効率的な運営や生産量の増加に貢献しました。また、彼の研究成果は塩の品質向上にもつながり、高品質な塩の供給を確保することに成功しました。

さらに、高安氏は塩の利用方法の多様化にも取り組みました。彼の努力により、塩は食品産業だけでなく、化学工業や医薬品製造などの分野で広く使用されるようになりました。

高安氏の業績により、塩は多くの産業や日常生活において不可欠な素材となりました。彼の革新的なアプローチと研究成果は、塩産業の発展に大きく貢献し、塩の利用価値をさらに高めました。

 

 

冷蔵庫の未来を作った男 上門一登

第80回で「上門一登物語」を放映

上門一登氏は、松下電器に入社以来、冷蔵庫を外気の熱から遮断する断熱材の研究をしていました。
1990年代、二つの環境問題が持ち上がりました。1つは、南極のオゾン層を破壊する物質と言われたフロン。もう1つは、地球温暖化の原因とされている二酸化炭素。
1997年発表「京都定義書」で二酸化炭素は温室ガスとされ削減対象になりました。フロンを使い消費電力の多い冷蔵庫は環境破壊を促進していたのです。そこで、冷蔵庫の改良が急ピッチで行われます。そんな時に、白羽の矢が立ったのが上門一登氏です。
上門氏の考えは「魔法瓶のような冷蔵庫」外気の温度の影響されずに冷え続けることができれば電力量は削減される。魔法瓶の秘密は「真空」、冷蔵庫でこの真空に近いものを実現する為に、二千種類以上の素材を試します。
その研究期間、実に20年!
研究の末「グラスウール」という素材にたどり着き、それを和紙のような構造にし、真空パックすることで、夢の断熱材が完成しました。2002年10月、上門氏の断熱材が登載された冷蔵庫が発売。従来の冷蔵庫に比べ41%の消費電力の削減に成功しました。これに続いて、他社でも同じ構造の冷蔵庫が発売。上門氏の研究で冷蔵庫が変わり、地球の為にも優しくなりました。

 

 

【編集後記】当時を振り返る

当時のブログ61回~80回を見ると、偉人たちの詳細を書いてある回もあれば、タイトル名しか書いてない回もありました。タイトルと名前だけで偉人が何をした人かというのは検索すれば大体分かるので、ブログに書かれてない回のものは検索にヒットしたサイトの文面を引用させてもらいました。新商品の誕生は失敗からというのは結構あるエピソードですが、「カニかま」も失敗から生まれ、そこから進化してきたというのは印象に残っています。

 

未来創造堂 未来を切り拓いたモノ創り (日テレBOOKS―日テレノンフィクション) (日テレノンフィクション 2)