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未来創造堂 第21回~第40回で取り上げられた偉人

この記事は、2006年4月7日から2009年9月25日の3年半、日本テレビ系列で毎週金曜日の23:00 - 23:30に放送された番組「未来創造堂」の情報をまとめたものです。「未来創造堂」とは、その人のコダワリを紹介するというバラエティ番組であり、コダワリから大発明をした偉人を紹介するドキュメンタリー番組でもありました。seesaaブログから、はてなに記事を移し、その当時を振り返った感想を書いています。

今回は第21回~第40回で放映された偉人をまとめました。

テリヤキバーガーを作った男 櫻田 慧

第21回で「テリヤキバーガー誕生秘話」を放映

櫻田慧(さくらだ けい)は、日本のファーストフードチェーン店「モスバーガー」の創業者であり、テリヤキバーガーを生み出したことで知られています。

モスバーガーは、日本国内で非常に人気のあるファーストフードチェーンであり、1972年に櫻田慧が最初の店舗を開業しました。彼は、アメリカのファーストフード文化を参考にしながらも、日本人の味覚に合ったメニューを提供することにこだわりました。

櫻田慧は、モスバーガーの代表的なメニューのひとつである「テリヤキバーガー」を考案しました。これは、焼き鳥に使われるような甘辛いテリヤキソースを使用したハンバーガーであり、日本国内外で非常に人気があります。

櫻田慧のモスバーガー創業は、日本のファーストフード業界に革命をもたらし、日本人の味覚に合ったメニューを提供することで大きな成功を収めました。テリヤキバーガーは、日本のファーストフードの代表的なメニューの一つとして広く愛されています。

 

 

東京タワーを設計した男 内藤 多忠

第22回で「東京タワー誕生秘話」を放映

内藤多忠(ないとう たただ)は、日本の建築家であり、東京タワーの設計者として知られています。

東京タワーは、1958年に竣工した日本の電波塔であり、東京のランドマークとして広く知られています。内藤多忠は、東京タワーの設計チームの一員として、フランスのエッフェル塔をモデルにしつつ、日本の技術と文化を取り入れて設計しました。

東京タワーは、当時の日本においては最も高い建造物であり、放送や通信などの機能を持ちながら、観光名所としても親しまれています。内藤多忠の設計によって生まれたこの優れた建築物は、日本の技術力や文化の象徴として、国内外で多くの人々に愛されています。

 

 

新幹線の振動を防いだ 松平 精

第23回で「松平精物語」を放映

松平精(まつだいら しょう)は、新幹線の振動を抑制するための技術を開発し、新幹線の安定性と快適性を向上させたことで知られています。

松平精は日本の技術者であり、1964年に開業した日本初の新幹線、東海道新幹線の運行中に振動の問題が浮上しました。特に高速運行時に生じる振動は、乗客の安全性や快適性に影響を与える可能性がありました。

そこで、松平精は新幹線の振動を抑制するための新しい技術を開発しました。彼は、車両の台車に新しいダンパー装置を導入し、レールの特性を改善することで、振動の軽減と安定性の向上を実現しました。

この技術革新により、新幹線の運行安定性が向上し、高速走行時における乗客の快適性も向上しました。松平精の貢献は、日本の鉄道技術の発展に大きく貢献し、新幹線が世界的に評価される高速鉄道として発展する基盤を築きました。

 

 

日本語ワープロを作った男 森 建一

第24回で「森建一物語」を放映

森建一(もり けんいち)は、日本の技術者であり、日本語ワープロの発明者として知られています。

森建一は、1970年代に富士通(当時は富士通電算機)に入社し、情報処理技術の研究開発に携わりました。彼は、日本語の文字や漢字を入力し、編集するための日本語ワープロシステムを開発しました。

その後、1980年に富士通が「JW-10」という日本初の商用日本語ワープロを発売し、これが日本のワープロ市場に革命をもたらしました。これまで、日本語の文字入力や編集は非常に困難であり、漢字の熟語変換やルビ振りなどの作業が非常に手間がかかっていましたが、日本語ワープロの登場により、これらの作業が大幅に容易になりました。

森建一の発明によって、日本語を含む文書処理が大幅に効率化され、日本の文書作成のあり方が変革されました。彼の貢献は、日本の情報技術分野における重要なマイルストーンとして認識されています。

 

 

哺乳瓶の未来を切り拓いた男 仲田 祐一

第25回で「仲田祐一物語」を放映

仲田祐一(なかた ゆういち)は、哺乳瓶の開発に関わった日本の技術者です。

仲田祐一は、日本の乳児用品メーカーであるピジョン(現在のピジョン株式会社)に在籍していました。彼は、哺乳瓶の改良と新しいデザインの開発に取り組みました。

彼が特に注力したのは、乳首の形状や素材、哺乳瓶の形状など、赤ちゃんが快適にミルクを摂取できるような設計の研究でした。仲田の取り組みにより、ピジョンはより使いやすく、赤ちゃんにとって安全で快適な哺乳瓶を提供することができるようになりました。

仲田祐一の努力によって、赤ちゃんの健康と安全を考慮した哺乳瓶の開発が進みました。彼の貢献によって、多くの家庭で使われる哺乳瓶が進化し、赤ちゃんの育児に貢献しています。

 

 

警備保障の父 飯田 亮

第26回で「飯田亮物語」を放映

セコムの創業者である飯田亮(いいだ りょう)氏は、日本のセキュリティ企業であるセコム株式会社の創業者です。セコムは、警備やセキュリティサービスを提供する企業として知られています。

飯田亮氏は、1979年にセコムを創業し、当初は警備サービスを中心に事業を展開しました。その後、セコムは技術の革新やサービスの多様化を進め、監視カメラやセンサーなどのセキュリティ機器の開発・導入や、警備業務の高度化などを行い、急速に成長しました。

飯田亮氏のリーダーシップのもと、セコムは日本国内だけでなく、海外展開も行い、世界各国でセキュリティサービスを提供しています。彼の経営手腕と技術革新の精神により、セコムは日本を代表するセキュリティ企業としての地位を確立しました。

 

 

セロテープ研究者達の熱き思い ニチバン

第27回で「セロテープの開発秘話」を放映

ニチバン(Nitto Denko Corporation)は、日本の多角的な化学メーカーであり、セロテープ(透明な接着テープ)を開発したことで知られています。

ニチバンは、1927年に創業され、その後、様々な分野で機能性の高い粘着テープや工業用材料、医療用製品などを開発・製造しています。創業以来、ニチバンは世界中で事業を展開し、グローバルな企業としての地位を築いています。

セロテープは、ニチバンが1950年代に開発した製品の一つであり、その後、世界中で普及しました。セロテープは、透明なフィルム状の基材に粘着剤を塗布したもので、紙やプラスチックなどの素材を接着する際に使用されます。普段使いの小さな修理から包装、ラベリングなどさまざまな用途に利用されています。

ニチバンのセロテープは、日常生活やビジネスのさまざまな場面で広く使われており、製品の品質や信頼性において高い評価を受けています。

 

 

野球盤を作った男 前田 竹虎

第28回で「野球盤開発秘話」を放映

前田竹虎(まえだ たけとら)は、野球盤を発明した日本の技術者であり、玩具メーカーであるタカトクトイスの創業者の一人です。

野球盤は、野球の試合をシミュレーションするためのゲームであり、野球場を模した盤面上で野球のプレイを楽しむことができます。プレイヤーはコマを使ってピッチャーから投球し、バッターが打球を打つ様子を再現します。

前田竹虎は、1950年代に野球盤を発明しました。彼の野球盤は、当時の野球ブームに乗って大ヒットし、多くの人々に愛されました。この野球盤は、日本国内だけでなく、海外でも人気を博しました。

前田竹虎の功績は、野球の楽しさを幅広い年齢層の人々に伝えることに貢献しました。また、彼の発明は、後の玩具業界における革新の一端を担い、日本の玩具文化に大きな影響を与えました。

 

 

現代用語の基礎知識生みの親 長谷川 國雄

第29回で「現代用語の基礎知識が出来るまで」を放映

長谷川國雄(はせがわ くにお)氏は、日本の言語学者であり、1984年に初版が刊行された「現代用語の基礎知識」の編集長を務め、現代用語の基礎知識を生み出したことで知られています。

「現代用語の基礎知識」とは、日本の若者言葉や流行語、新しい造語など、特定の時代や年において社会で広く使用される言葉や表現を収集・整理し、辞典のような形でまとめたものです。この辞書は、主に若者や一般市民が日常的に使う言葉や流行語を理解するためのリファレンスとして広く使われています。

長谷川國雄氏は、多くの新語や流行語を収録し、日本の言語文化の変化や流行を追跡する一助となるべく、「現代用語の基礎知識」を編集しました。彼の貢献により、この辞典は日本の言語学習や言語研究の分野において重要な資料として位置づけられています。

 

 

冷温式自動販売機の生みの親 谷田 利景

第30回で「冷温式自動販売機 開発秘話」を放映

谷田利景(たにた としかげ)氏は、日本の技術者であり、冷温式自動販売機の開発者として知られています。

冷温式自動販売機は、飲料や食品などの商品を保冷または加熱して提供する自動販売機の一種です。谷田氏は、1972年に世界で初めてこのタイプの自動販売機を開発し、商品の品質や衛生面を確保すると同時に、消費者により多くの選択肢を提供することを目指しました。

谷田氏の冷温式自動販売機の発明は、自動販売機業界に革命をもたらしました。これにより、消費者は季節や気候に関係なく、常に好みの温度の飲み物や食品を手に入れることができるようになりました。また、冷温式自動販売機は、ビジネスや公共の場所など、さまざまな場所で広く利用されています。

谷田利景氏の貢献は、自動販売機技術の進化に寄与し、飲料や食品の提供方法を革新しました。彼の発明により、現代の自動販売機はより多くの機能を備え、消費者の利便性と満足度を高めることができるようになりました。

 

 

プリント倶楽部を生み出した女性 佐々木 美穂

第31回で「プリント倶楽部 誕生秘話」を放映

佐々木美穂(ささき みほ)さんは、日本の実業家であり、プリント倶楽部の創業者として知られています。

プリント倶楽部は、写真をプリントしたり、フォトブックやフォトグッズを作成したりするサービスを提供しています。佐々木美穂さんは、2003年にこのサービスを立ち上げ、インターネットを通じて写真のプリントや加工を手軽に行えるようにしました。

彼女のアイデアは、当時のデジタルカメラの普及と共に、写真を撮ることがますます身近なものになっていた時期に適しており、多くの人々から支持されました。佐々木美穂さんのプリント倶楽部の発案により、一般の人々も簡単に自分の写真をプリントして保存したり、フォトブックとしてまとめたりすることができるようになりました。

彼女の起業精神とアイデアにより、写真を手軽に楽しむことができるサービスが提供され、多くの人々に利用されています。これにより、日常の中での写真の楽しみ方や使い方が変わり、写真文化の発展に寄与しました。

 

 

段ボールで輸送革命を起こした男 井上 貞二郎

第32回で「井上貞二郎物語」を放映

井上貞二郎(いのうえ ていじろう)氏は、日本の実業家であり、段ボールの輸送に革命を起こしたことで知られています。

井上氏は、日本の製紙会社である王子製紙の創業者の一人であり、段ボールの利用を広めることで物流業界に大きな影響を与えました。彼は、1950年代に段ボール製品の開発と普及に尽力し、その後、日本の物流業界を変革するきっかけとなりました。

段ボールは、軽量でありながら頑丈で、再利用やリサイクルが容易であるため、物流業界において重要な役割を果たしています。井上氏の段ボールの輸送への取り組みにより、木製の箱や缶などの従来の輸送容器に代わって段ボールが広く利用されるようになり、物流の効率性が向上しました。

井上貞二郎氏の功績により、段ボールは世界中で広く使われるようになり、現代の物流システムの基盤を築く一助となりました。彼の業績は、持続可能な輸送方法の普及に貢献し、産業の発展に大きな影響を与えました。

 

 

サインペンにこだわり続けた男 若井 登

第33回で「サインペン開発秘話」を放映

若井登(わかい とおる)氏は、日本の実業家であり、サインペンの開発に重要な役割を果たしたことで知られています。

若井氏は、パイロット株式会社(当時はパイロットコーポレーション)で働いていた1950年代に、世界で初めてキャップレス式のサインペン「カピラス」を開発しました。これは、サインペンのインクが乾燥しないようにする特別な機構を持ち、ユーザーに利便性を提供しました。

その後、若井氏はサインペンの技術と品質向上に取り組み、独自の製造技術を確立しました。彼の情熱と努力により、パイロットは世界的なサインペンメーカーとしての地位を確立し、多くの人々に愛用されるブランドとなりました。

若井登氏の貢献により、サインペンはより高品質で信頼性の高い製品となり、ビジネスや教育、日常生活などさまざまな場面で広く使用されるようになりました。彼の技術革新は、サインペンの普及に大きく貢献し、サインやメモ書きなどの行為がより便利になりました。

 

 

電子ジャーにこだわり続けた男 市川 博邦

第34回で「電子ジャー開発秘話」を放映

市川博邦(いちかわ ひろくに)氏は、電子ジャーの開発に貢献した日本の技術者です。

電子ジャーは、食品を温かい状態で保温するための調理器具です。市川氏は、家庭やオフィスで食事を温かく保つための便利な方法を提供するために、この製品を開発しました。

電子ジャーの仕組みは、食品を保温するための電気加熱装置を内蔵し、食事を適切な温度で保つことができるように設計されています。これにより、食事を温かく保つだけでなく、時間を節約し、便利に食事を提供することができます。

市川博邦氏の電子ジャーの開発により、食事の温かさを保つための手間が省けるだけでなく、食品の風味や栄養価を保つこともできるようになりました。彼の技術は、忙しい現代の生活において大きな利便性を提供しています。

 

 

 

プレハブ住宅を作った男 石橋 信夫

第35回で「プレハブ住宅開発秘話」を放映

石橋信夫(いしばし のぶお)は、日本の建築家であり、プレハブ住宅の開発に貢献したことで知られています。

プレハブ住宅は、工場で生産された建材や部品を現場で組み立てて建てられる住宅の一種です。石橋信夫氏は、日本の住宅不足や急速な都市化に対応するために、プレハブ住宅の開発と普及に取り組みました。

石橋氏は、高品質で耐久性のあるプレハブ住宅を設計し、大量生産するための効率的な製造プロセスを開発しました。これにより、低コストで高品質な住宅を提供することができ、多くの人々に手頃な価格で住宅を提供することが可能となりました。

石橋信夫氏のプレハブ住宅の開発により、住宅の供給が拡大し、住宅問題の解決に貢献しました。彼の功績は、住宅産業における技術革新と持続可能な住宅開発に対する貢献として評価されています。

 

 

セーラー服を作った男 太田 豊吉

第36回で「太田豊吉物語」を放映

太田豊吉(おおた とよきち)は、日本の実業家であり、セーラー服を作ったことで知られています。

太田豊吉氏は、明治時代に、日本の海軍の制服である「セーラー服」を考案しました。当初は海軍の士官候補生のために作られたものでしたが、後に学生服として広く普及しました。

セーラー服は、その特徴的なデザインやシンプルな作りから、日本の学生服の代表的なスタイルとなり、多くの学校で制服として採用されています。また、そのファッショナブルなデザインから、日本国内外でファッションアイテムとしても人気があります。

太田豊吉氏のセーラー服の考案は、日本の学生服文化に大きな影響を与えました。その後も、セーラー服は日本の文化の一部として根付き、多くの人々に愛され続けています。

 

 

水族館の巨大水槽を創った男 杉浦 宏

第38回で「巨大水槽制作秘話」

杉浦宏(すぎうら ひろし)氏は、日本の建築家であり、水族館の巨大水槽を創ったことで知られています。

彼は、日本の水族館である「新潟市水族館」(現在の新潟市水族館うみがた)の建設に関わり、その中心的な設計者の一人でした。この水族館は、1984年に開館し、その中には「うみたての広場」と呼ばれる大規模な水槽があります。

「うみたての広場」は、世界で初めて大量の海水を使用した大型の巨大水槽として知られています。この水槽は、イルカやクジラなどの海洋生物を展示するために設計され、水中トンネルを備えた壮大なスペースを提供しています。

杉浦宏氏は、このような巨大水槽の設計において、建築と自然の融合を追求し、訪れる人々に圧倒的な体験を提供しました。その功績は、水族館のデザインや海洋生物の展示において広く称賛されています。

 

 

カプセルホテルの生みの親 見達 和夫

第39回で「カプセルホテル誕生秘話」を放映

見達和夫(みたつ かずお)氏は、日本の実業家であり、カプセルホテルの誕生に大きく関わった人物です。

見達氏は、1979年に大阪で日本初のカプセルホテル「カプセルイン淀屋橋」を開業しました。この施設は、小さなカプセル状の個室が並ぶ形態を採用し、必要最低限の設備を提供することで、低価格で宿泊することができるユニークなホテルとして注目を集めました。

カプセルホテルは、都市部や交通の利便性が高い場所に立地し、ビジネスマンや旅行者などにとって手軽で利便性の高い宿泊オプションとして利用されています。見達氏の斬新な発想と実行力により、カプセルホテルは日本国内だけでなく、世界中で人気を博する宿泊施設の一つとなりました。

 

 

ゴルフボールに革命を起こした男 冨田 誠介

第40回で「ゴルフボール設計秘話」を放映

冨田誠介(とみた せいすけ)氏は、ゴルフボールに革命を起こした日本の技術者であり、ゴルフ用品メーカーであるブリヂストンの研究開発部門で活躍しました。

冨田氏が革命を起こしたのは、ダイナミックなゴルフボールの設計に関する業績です。彼は、飛距離や飛行安定性の向上に焦点を当て、ボールの表面のデザインや内部構造の最適化を追求しました。その結果、ブリヂストンのゴルフボールは、飛距離とコントロールの両方で競合他社を凌駕する性能を持つ製品として市場で高い評価を受けました。

冨田氏の革新的なアプローチと技術力により、ブリヂストンはゴルフボールの分野でリーディングカンパニーとしての地位を確立しました。彼の功績は、ゴルフ業界における技術革新と競争力強化に大きく貢献しました。

 

 

【編集後記】当時を振り返る

第37回は第6回で放送された「オセロ誕生物語」を再度放送、一番反響が大きかったようで、第37回の放送は「オセロ誕生物語」のみの放送でした(当時のブログより)

15年以上前の番組ですが、テリヤキバーガーを作った男の話など今でもよく覚えているエピソードがいくつかあります。そのエピソードの殆どが有名な企業の創業者のものなのですが、「未来創造堂」は「HONDA」の一社スポンサーだったと思います。

HONDAと言えば創業者は本田宗一郎氏、番組制作にはHONDAが関係してるのかな?とふと思い調べてみたところ思わぬ事実に辿り着きました。

未来創造堂(Mirai Souzoudou)とは、本田技研工業(Honda)の事業の一環として、創業者の本田宗一郎が設立した組織です。この組織は、1981年に設立されました。未来創造堂は、Hondaの哲学や技術を基に、社会や経済の発展に貢献するための活動を行っています。

具体的には、未来創造堂は、Hondaが持つ技術や知識を活用して、新しい製品やサービスを開発し、社会のニーズや課題に対応することを目指しています。また、研究開発や技術革新に取り組むことで、持続可能な社会の実現に貢献しています。

未来創造堂は、Hondaの企業文化や理念に基づいて活動しており、企業の社会的責任(CSR)やイノベーションに重点を置いた取り組みを行っています。そのため、未来創造堂はHondaグループの一員として、企業のビジョンや方針に沿った活動を展開しています。

「未来創造堂」という番組は、Hondaグループの活動の1つだったんだなと2024年になって気付くことになるとは・・ なかなか感慨深いです。

四字熟語「未来創造」額付き書道色紙/受注後直筆(千言堂)V5605