Detailed information

Detailed information 直訳すると「詳細な情報」

※本ページはプロモーションが含まれています

未来創造堂 第2回~第20回で取り上げられた偉人

この記事は、2006年4月7日から2009年9月25日の3年半、日本テレビ系列で毎週金曜日の23:00 - 23:30に放送された番組「未来創造堂」の情報をまとめたものです。「未来創造堂」とは、その人のコダワリを紹介するというバラエティ番組であり、コダワリから大発明をした偉人を紹介するドキュメンタリー番組でもありました。seesaaブログから、はてなに記事を移し、その当時を振り返った感想を書いています。

今回は番組で取り上げられた偉人をまとめました。

FAXを作った男 丹羽保次郎

第2回で「丹羽保次郎物語」を放映

丹羽保次郎氏は、日本の通信技術者で、FAX(ファクシミリ)を発明した人物として知られています。FAXは、文書や図面などの情報を電話回線を介して送受信するための装置であり、現代のコミュニケーション技術の一翼を担っています。

丹羽保次郎氏は、1950年代初頭にFAXの初期の研究を行い、1958年に世界で初めての商用FAXシステム「NP-1」を開発しました。このシステムは、紙の写しを光学的に読み取って電話回線を介して送信し、受信側で再構築する仕組みでした。その後、FAX技術はさらに進化し、世界中で広く利用されるようになりました。

丹羽保次郎氏の功績により、FAXは企業や個人の間で広く普及し、情報の送受信を効率化する重要なツールとなりました。彼の貢献により、通信技術の発展に大きな影響を与えたことは間違いありません。

 

 

ライト兄弟より先に飛行機原理を発見した男 二宮忠八

第3回・第4回で「二宮忠八物語」を放映

二宮忠八(にのみや ちゅうはち)は、日本の医師であり、明治時代に航空機の原理を発見し、日本で初めて飛行機の模型を製作したことで知られています。

1885年、二宮忠八は著書「空気論」で、飛行機が鳥の翼のような形状を持つ必要があることや、推進力を発生するためのプロペラが必要であることを提唱しました。さらに、動力としてエンジンが必要であること、航空機が地面から浮上するための適切な速度と角度があることなどを指摘しました。これらの発見や理論は、後の飛行機の発明や開発に影響を与えました。

また、二宮忠八は1885年に飛行機の模型を製作し、実際に空中に飛ばすことに成功しました。これは日本で初めての飛行機模型の飛行実験であり、日本の航空の先駆けとなりました。

二宮忠八は日本の航空技術の発展に大きな影響を与えた先駆者の一人であり、その功績は後の航空の発展に寄与しました。

 

 

日本初のコンタクトレンズ誕生 水谷 豊

第5回で「水谷 豊 物語」を放映

水谷豊(みずたに ゆたか)は、日本の医師であり、コンタクトレンズの開発者として知られています。

水谷豊は、1949年に日本初の硬式コンタクトレンズを開発しました。これは、当時の日本ではまだ珍しい技術であり、視力補正のための革新的な方法として注目されました。この成果により、日本の視覚障害者や視力低下者にとって、新たな視力補正の選択肢が提供されました。

水谷豊の功績により、コンタクトレンズは日本で一般的な視力補正方法として広まり、その後の技術革新や医療の進歩により、さまざまな種類のコンタクトレンズが開発される契機となりました。彼の貢献は、日本の視覚障害者や視力低下者の生活の質を向上させ、視力補正の分野において重要な役割を果たしました。

 

 

オセロを作った男 長谷川 五郎

第6回で「長谷川五郎物語」を放映

長谷川五郎(はせがわ ごろう)は、日本の企業家であり、オセロとして知られるボードゲームの開発者です。

長谷川五郎は、1971年にオセロとして知られるリバーシの商標を取得し、日本で販売を開始しました。リバーシは、黒と白の石を使って相手の石を挟んで自分の色に変えるゲームであり、簡単なルールながら戦略性の高いゲームとして知られています。

長谷川五郎がオセロ(リバーシ)を日本で販売したことで、このゲームは世界中で広く知られるようになり、多くの人々に親しまれるようになりました。また、オセロは国際的な競技大会やトーナメントも開催され、プロのプレイヤーも登場するなど、その人気は世界中に広がりました。

長谷川五郎の貢献により、オセロ(リバーシ)は世界的なボードゲームとして認知され、多くの人々に楽しみや戦略的な遊びの機会を提供しています。

 

 

シャープペンシルを作った男 早川 徳次

第7回で「早川徳次物語」を放映

早川徳次(はやかわ とくじ)は、シャープペンシル(自動鉛筆)を発明した日本の技術者です。彼は、1915年にシャープペンシルを世界で初めて特許出願し、1916年に特許を取得しました。

従来の鉛筆と異なり、シャープペンシルは鉛筆を削る必要がなく、細い棒状の芯が自動的に先端から出てくる機構を備えています。この機構により、鉛筆を使い続ける際に便利さが増し、より正確な線を引くことが可能になりました。

早川徳次のシャープペンシルの発明は、筆記具の進化に革命をもたらし、世界中で広く使われるようになりました。現在では、シャープペンシルは学校やオフィスなどさまざまな場面で利用され、その便利さと使いやすさから、多くの人々に愛用されています。

 

 

製麺機を作った男 眞崎 照郷

第8回で「眞崎照郷物語」を放映

眞崎照郷(ますざき てるさと)は、日本の技術者であり、製麺機を発明したことで知られています。

眞崎照郷は、製麺業界に革命をもたらすべく、手作業からの脱却を目指して製麺機を開発しました。製麺機は、麺を自動的に作り出す機械であり、従来の手作業に比べて生産性や効率が格段に向上します。

眞崎照郷の製麺機の発明は、製麺業界に大きな影響を与え、麺の生産を効率化しました。また、製麺機の普及により、麺類の供給が安定し、消費者にとっても多様な種類の麺を手軽に利用することが可能となりました。

その功績から、眞崎照郷は製麺業界において偉大な技術者として称賛されています。彼の発明により、日本の麺文化がさらに発展し、世界中に広まるきっかけとなりました。

 

 

インベーダーゲームの父 西角 友宏

第9回で「西角友宏物語」を放映

西角友宏(にしかど ともひろ)は、日本のゲームデザイナーであり、アーケードゲーム「スペースインベーダー」の開発者として有名です。

1978年、西角友宏は当時のアーケードゲームのトレンドに反して、地味な設計とシンプルなゲームプレイを持つスペースインベーダーを開発しました。このゲームは、プレイヤーが宇宙船を操作して侵略してくるエイリアンの群れを撃退するというもので、当時のアーケードゲーム市場に革命をもたらしました。

スペースインベーダーは、その独創的なゲームデザインとシンプルな操作性から大きな人気を博し、ゲーム産業における金字塔となりました。このゲームは世界中で大ヒットし、ゲーム産業の成長に大きく貢献しました。

西角友宏の功績は、ゲームデザインの分野において顕著であり、彼の開発したスペースインベーダーは、ゲーム史上最も影響力のある作品の一つとされています。彼の貢献により、インベーダーゲームはゲーム文化において永遠の名声を得ました。

 

 

100円ライターを作った男 山本 静雄

第10回で「山本静雄物語」を放映

山本静雄(やまもと しずお)は、日本の発明家であり、1973年に世界で初めて100円ライターを発明したことで知られています。

当時、ライターは高価であり、一般の人々にとって手の届かないものでした。しかし、山本静雄は100円で販売できるライターの製造を実現し、日本中に広く普及させました。この低価格での提供は、ライターの普及と使用の促進に大きく貢献しました。

山本静雄の100円ライターの発明は、家庭や店舗での照明や火の取り扱いを容易にし、日常生活における便益をもたらしました。また、低価格で手に入ることから、多くの人々にとって身近なアイテムとなり、広く利用されるようになりました。

彼の発明は、ライターの分野における画期的な進歩であり、社会に対する彼の貢献は大きいとされています。

 

 

生涯を天気予報に捧げた男 藤原 咲平

第11回で「藤原咲平物語」を放映

藤原咲平(ふじわら さくへい)は、日本の気象学者であり、生涯を天気予報に捧げたことで知られています。

藤原咲平は、気象庁に勤務し、長年にわたって天気予報の改善や研究に従事しました。彼は特に、短期間の気象予報の精度向上に尽力し、日本の天気予報の信頼性を高めるための技術開発やシステムの改善に取り組みました。

藤原咲平の研究成果や貢献は、日本の気象学や天気予報の分野で高く評価されています。彼の努力により、日本の天気予報はより正確で信頼性の高いものとなり、多くの人々が安心して生活を送ることができるようになりました。

彼の生涯は、天気予報の分野への情熱と献身に満ちたものであり、日本の気象学に多大な貢献をもたらしました。

 

 

亀の子たわしを作った男 西尾 正左衛門

第12回で「西尾正左衛門物語」を放映

西尾正左衛門(にしお しょうざえもん)は、日本の職人であり、亀の子たわしを考案したことで知られています。

亀の子たわしは、昔ながらの伝統的な日本のたわしの一種であり、その特徴は亀の甲羅のような形状にあります。西尾正左衛門は、この亀の子たわしを考案し、製造しました。このたわしは、繊維の密集した表面が汚れをしっかりと落とすのに効果的であり、日本の家庭で広く愛用されています。

西尾正左衛門の亀の子たわしは、日本の伝統的な生活用品の一つとして、その性能とデザインの優れた品質から、多くの人々に愛用されています。彼の貢献により、亀の子たわしは日本の文化に欠かせないアイテムの一つとして定着し、日常生活で重宝されています。

 

 

ウォシュレットを作った男 池永 隆夫

第13回で「池永隆夫物語」を放映

池永隆夫(いけなが たかお)は、日本の技術者であり、ウォシュレット(温水洗浄便座)を開発したことで知られています。

ウォシュレットは、トイレの便座に取り付けられた温水洗浄機能を備えた製品であり、使用後の清潔さと快適さを提供します。池永隆夫は、1970年代にウォシュレットを開発し、その後、TOTO社などの企業と共同で製品化しました。

ウォシュレットの開発により、日本のトイレ文化は革命を遂げました。清潔さと快適さを重視する日本の住民にとって、ウォシュレットは非常に人気のあるアイテムとなり、日本国内外で広く普及しました。

池永隆夫の功績は、トイレの衛生環境と快適性を向上させ、日本の住民にとっての生活の質を改善することに大きく貢献しました。彼の発明は、日本の技術力とイノベーションの象徴となっています。

 

 

真珠の養殖に成功した男 御木本 幸吉

第14回で「御木本幸吉物語」を放映

御木本幸吉(みきもと こうきち)は、日本の実業家であり、真珠の養殖技術を開発したことで知られています。

御木本幸吉は、1893年に日本の三重県志摩地方で生まれました。彼は農家の家庭に育ちましたが、若い頃から海産物に興味を持ち、特に真珠の養殖に関心を寄せていました。

当時、真珠は自然に形成されるものであり、高価で稀少でした。そこで、御木本幸吉は真珠の養殖技術を開発することに挑戦しました。彼は様々な試行錯誤の末、1928年に世界で初めて本格的な真珠の養殖に成功しました。彼の技術によって、真珠の生産は大幅に増加し、真珠の価格も下落しました。

御木本幸吉の功績は、真珠産業に革命をもたらし、真珠を一般の人々にも手頃な価格で提供することが可能になりました。彼の技術は、日本の真珠産業を世界的に有名なものにし、日本経済に大きな影響を与えました。

 

 

赤外線リモコン開発者 坪井 義一

第15回で「坪井義一物語」を放映

坪井義一(つぼい よしかず)は、日本の電子技術者であり、赤外線リモコンの開発者として知られています。

坪井は、1955年に東京都出身として生まれ、静岡大学を卒業後、東芝に入社しました。彼は1980年代初頭に、家電製品の操作を遠隔から行うためのシステムとして赤外線リモコンを開発しました。この技術は、テレビやエアコンなどの家電製品を操作するために広く普及し、我々の日常生活に欠かせないものとなりました。

坪井の赤外線リモコンの開発は、家電製品の利便性を大きく向上させ、操作の簡素化や効率化をもたらしました。彼の技術は、様々な分野で利用され、家庭用から産業用まで幅広く応用されています。

坪井義一の業績は、日本の技術革新に大きな影響を与えました。彼の赤外線リモコンの開発により、電子機器の操作がより便利になり、我々の生活をより快適にする技術革新の一端を担っています。

 

 

バスクリンの生みの親 津村 重舎

第16回で「津村重舎物語」を放映

津村重舎(つむら しげのり)は、バスクリンの生みの親として知られています。バスクリンは、日本を代表する清涼感のある医薬品であり、特に風邪や鼻づまりなどの症状に対する解消を目的としています。

津村重舎は、1936年に日本の製薬会社、花王(当時は日本化薬)で働いていた頃に、バスクリンの開発に関与しました。彼は、メントールなどの清涼成分を配合した医薬品を開発し、その効果により人々の間で大きな支持を得ました。

バスクリンは、その爽快感と効能により、日本だけでなく世界中で多くの人々に愛用されています。津村重舎のバスクリンの開発は、医薬品業界において大きな成功を収め、多くの人々の健康と快適さに貢献しました。

 

 

カルピスを作った男 三島 雲海

第17回で「三島雲海物語」を放映

三島雲海(みしま うんかい)は、日本の発明家であり、カルピスの原型である「カルシウム乳酸菌」を発明したことで有名です。

三島雲海は、1887年に山口県で生まれ、東京帝国大学(現在の東京大学)で学んだ後、農学に専念しました。彼は、牛乳を発酵させて作るヨーグルトにカルシウムを添加したことで、飲みやすく栄養価の高い飲料を開発しました。これが後のカルピスの原型となります。

1924年、三島雲海はカルシウム乳酸菌飲料を商品化し、「カルピス」として市場に投入しました。カルピスはその後、日本国内外で大きな人気を博し、多くの人々に愛飲されています。

三島雲海の発明によって生まれたカルピスは、日本の飲料業界において大きな成功を収め、多くの人々の生活に欠かせない飲み物となりました。彼の貢献は、日本の食文化の一部として深く根付いています。

 

 

お茶漬け海苔を作った男 永谷 嘉男

第18回で「永谷嘉男物語」を放映

永谷嘉男(ながたに よしお)は、お茶漬け海苔を発明したことで知られる日本の実業家です。

永谷嘉男は、株式会社永谷園の創業者であり、1949年にお茶漬け海苔を発明しました。お茶漬け海苔は、海苔に独自の調味料をかけて食べることで、ご飯との相性が良く、お茶漬けの具材として広く親しまれています。

永谷園は、お茶漬け海苔をはじめとする多くの調味料や加工食品を製造・販売しており、日本国内外で非常に人気があります。

永谷嘉男のお茶漬け海苔の発明は、日本の食文化において重要な位置を占めています。彼の創造性と起業家精神は、多くの人々に喜ばれ、永谷園の製品は日本の家庭で親しまれています。

 

 

レトルトカレーの生みの親 播磨 六郎

第19回で「播磨六郎物語」を放映

播磨六郎(はりま ろくろう)は、レトルトカレーを開発したことで知られる日本の技術者です。

播磨六郎は、1953年に日清食品に入社し、レトルト技術の開発に携わりました。彼は1970年代初頭に、日清食品が発売した世界初のレトルトカレー「カレーメシ」の開発に中心的な役割を果たしました。

当時、レトルト食品は一般的ではなく、質や味に問題があると見なされていました。しかし、播磨六郎は高い品質のカレーをレトルト技術で製造することに成功しました。この革新的な製品は、その後、日本国内外で大きな人気を博しました。

播磨六郎の功績は、レトルト食品産業に革命をもたらし、多忙な現代人にとって簡便で美味しい食事の提供を可能にしました。彼の技術革新は、現代の食品産業において大きな影響を与え、多くの人々に利益をもたらしています。

 

 

世界が驚いた月面宙返り 塚原 光男

第20回で「塚原光男物語」を放映

塚原光男(つかはら みつお)は、日本の体操選手であり、1964年の東京オリンピックでの演技が世界的な注目を集めました。彼は、男子体操の床運動で、当時としては驚異的なバック宙返りと前方宙返りを連続で披露し、これが「世界が驚いた月面宙返り」として称賛されました。

当時、バック宙返りと前方宙返りを連続して行うという演技は非常に難易度が高く、リスクも大きかったため、多くの観客がその場で息をのんだと言われています。しかし、塚原光男は見事にこれらの技を成功させ、その技の難易度と美しさに世界中の人々が感動しました。

塚原光男の月面宙返りは、日本の体操界における歴史的な瞬間として記憶されています。彼の勇敢さと技術力は、多くの人々に影響を与え、日本の体操競技のレベル向上に寄与しました。

 

 

【編集後記】当時を振り返る

深夜23時からの30分番組だった「未来創造堂」番組の構成は毎週ゲストが登場しそのゲストが拘っている事を紹介し、後半で偉人のこだわりを紹介するという番組でした。短い偉人物語でしたがナレーションは山寺宏一さんで偉人のこだわりやひらめきに感心したのを覚えています。当時のブログを見るとゲストがこだわっている物や木梨憲武さんがオススメするアイテムに目がいってて、偉人の事にはあまり触れていません。後世に残したいのは偉人の方だと思いゲストのコダワリは省き、偉人の事だけをまとめました。放送当時はコレ日本人が発明したのか!と驚く事が多かったです。

 

未来創造堂 未来を切り拓いたモノ創り (日テレBOOKS―日テレノンフィクション) (日テレノンフィクション 2)